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鹿児島県大浦町甕ヶ兵の名水で低温仕込み、低温発酵でまろやかに仕上げました。
■芋焼酎 25度 乙類 700ml■原材料 さつま芋 米麹(黒麹)■吹上酒造[産直鹿児島県]鹿児島限定販売【小松帯刀】25度 720ml低温仕込み・低温発酵でまろやかな味わい 近代日本人の肖像より幻の宰相「小松帯刀」(1835〜70)薩摩藩城代家老。
慶応二年(1866)、京都の小松屋敷で坂本竜馬・小松帯刀立会いのもとに西郷隆盛と木戸孝充の間で薩長同盟を成立させるなど、明治政府の誕生に大きな力を発揮しました。
篤姫の幼なじみで、成長とともに篤姫に思いを寄せるようになります。
薩摩の偉人を銘柄にしていることからも、「黄金千貫いも」を特に厳選して丁寧に原料処理を行いました。
麹は昔ながらの黒麹を使用し、低温発酵でもろみを造り伝統的な常圧蒸留を行っています。
口に含むと、芋らしい落ち着きのある香りと柔らかな甘味が感じられると共に、軽快ですっきりした味わいが特長の焼酎です。
お湯割り、水割り、ロックなどでお楽しみ下さい。
■幻の名宰相 「小松帯刀」とは 歴史の表舞台にはあまり登場しない為“幻の宰相”と言われる小松帯刀は、天保6年(1835年)10月4日、鹿児島の吉利、肝付家三男として生まれました。
文久元年(1861)島津久光にその手腕力量を認められて薩摩藩家老に昇格。
帯刀が弱冠28才の時でした。
一藩の軍事・財政・教育・商工業などをその若い双肩に担い、島津久光の有能な懐刀として活躍。
産業、通商を盛んにし琉球・清国をはじめ諸藩と交易することで藩の財政を豊かにし、重要な教育、軍備の資金源として注ぎ込み藩の活性化近代化に貢献する一方、西郷隆盛、大久保利通らを近代日本史に残る英傑へとその才能を引き出し支援し、卓越した政治能力で、交流のあった坂本龍馬らとともに日本の明治維新を支える重要な人物になってゆきます。
【こぼれ話、その一】明治維新の推進者で、実現を前に非業の死を遂げた土佐の坂本龍馬はよく知られていますが、龍馬と小松は同じ天保6年生まれ。
龍馬は大政奉還の直後に33才で刺客の手に倒れ、帯刀は新政府成立直後の明治3年に36才で病に倒れていますが実は二人は同じ激動の幕末をすすんだ若者同士として交流がありました。
寺田屋騒動で傷を負った龍馬は、妻となったおりょうと共に、当時すでに薩摩藩家老であった小松帯刀を二人で訪ね、しばらく小松邸に逗留しています。
これが「日本最初の新婚旅行」といわれ鹿児島に二人の像が建っています。
その小松屋敷は、現在も一部がひっそり残っています。
【こぼれ話、その二】明治維新の前後25年も日本に滞在していた外交官のアーネスト・サトウ氏はその激動の歴史の中で小松帯刀とも関わりを持っていたが、彼の著書「一外交官の見た明治維新(上)」の中で「小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物、家老の家柄だがそういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり態度がすぐれ、友情が厚くそんな点で人々に傑出していた。
」と言い、薩摩の蔵屋敷の土地として購入していた神戸の敷地を外国人居留地として帯刀が申し出たエピソードも記しています。
また帯刀は、薩長同盟の翌年、大坂(現大阪)での彼の昼食会に招かれたさい、「脂肪の多い肝のパテや、薄い色のビールをうまそうにぱくつき飲みほし…」と、上機嫌になった帯刀が同じ宿舎内にいる徳川家臣らに酔った勢いで秘事をもらしはせぬかはらはらした様子も書かれています。
【こぼれ話、その三】帯刀の第二夫人になった琴仙子は、芸技、学問にも優れ和歌の道にも秀でた京都祇園の名妓とうたわれた女性。
帯刀が京都から鹿児島へ帰る時、琴仙子へ贈った歌、またその返歌が残っています。
●鳴り渡る雁の涙も別れ路の 袂にかかる心地こそすれ [小松帯刀]●うちいづる 今日の名残り思いつつ 薩摩の海も残しとやせん [琴仙子] 吹上焼酎ページより【鹿児島県内限定販売芋焼酎】●南之方 ●神之川 ●たんこどん ●天無双 ●流川(春・秋限定)●小松帯刀 ●かいもしょちゅ